■先週は市場続きの合間にあちこち動き作業続きでもって金曜夜には疲労困憊。PC立ち上げるのも億劫でお断りもしないまま当ページの更新を1回パスしてしまいました。どうかお赦し下さい。
只今、市場出品に向けて仕分け途上の商品がお三方様分。全て一旦店に運び込んで作業をしているため、店内立ち入りが憚られるような状態ですが、来週も火・木・土曜日は平常(を装って)営業いたします。御用の方はご遠慮なくご入店いただければ幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
■さて、早いもので今年もそろそろGWのスケジュールのお知らせを。店は4月29日(日)から5月7日(月)までお休みをいただく予定です。その間、ジェオグラフィカさんや市場など、実はウロウロしていないといけない用件もあり、突発的に店に立ち寄る日やジェオグラフィカさんに居る日など、決まりましたら随時Facebookでお知らせいたします。この間の動きやご連絡についてはFacebook経由でお願いできればと存じます。併せてよろしくお願い申し上げます。
■先週、市場と作業の間隙を縫って「吉田謙吉写真展 満洲風俗・1934年」を観てきました。「考現学」で知られる吉田謙吉さんです。ライカのレンズ越しに注がれた視線の向こうには、路上で働く人たちの姿があり、女性のファッションがあり、店の看板があり、駅のホームの雑踏があり、つまりはユニークでユーモラスで温かくて、でも静かに時代の本質を突くかのような考現学の、その満洲版と云えるものではないかと思いました。スナップ写真は先ず第一に、写す人のありかたを写すものであるようです。
昭和5年に初版が発行された『上海風俗』の昭和6(1931)年発行・第三版が入荷しました。第3版まで出ている割には見ない本だと思います。
これもまた旧植民地に関する写真集としては珍しく、戦時色・支配者的視点より都市風俗・時代観察者的視点に比重を置いている感の強い ― 社会的に虐げられている人たちなど対象によっては心を寄せるかのようなコメントまで見られる ― この時代にしては異色のものではないかと思います。
巻頭、「自由都市の名に恥じない上海の、巡警の種類の多いのも又上海でなくては見られ得ぬ、名物の一つであらう」として、英仏日支印他各国制服姿の警官の写真に始まり、苦力の諸相、路上の物売り、一輪車の絶妙な使い方、「開放を叫び、法律的に男女同権を認められるるに到った、新支那の女性は、たしかに日本女性の一段上を行くの観がある」との文言が添えられた上海モガの写真を集めたページ、上海名物(?)阿片窟、市場の様子を写した毛物衣類のセリ買、「グロテスクの一語に尽きる」と言い切っている纏足によって変形した足の写真など、他ではあまり見られない画像が、上海のもつ明るい部分と暗部のバランスもよく、収録されています。
撮影者である佐藤成夫という人、版元である長澤写真館については、両者によって『大上海』という写真集が出版されているということ以外、残念ながらいまのところ情報が見当たりません。年々窮屈になっていった日本を離れ、自由の空気を求めて上海に渡った日本人の多くは、敗戦と植民地時代の終焉とともに、その足跡をも消し去られてしまったのでしょうか。
■特撮SF映画の嚆矢とされるフリッツ・ラング監督「メトロポリス」の日本封切りは?と調べてみると、1929(昭和4)年。アメリカでの封切りから約3年後ということになりますが、例えば雑誌『映潮』昭和2(1927)年10月号 = ほぼ1冊まるまる山村冷笑による映画論集で構成された特別号の巻頭、「機械美賛美」の代表例として「メトロポリス」のスチール写真がとられているのを見るまでもなく、日本には封切り以前からすでに相当量の情報が入っていたと見て間違いありません。
雑誌『映潮』は大竹二郎、河本正男、長濱一郎、清水政二などを同人として出版されていた雑誌。いずれもアマチュアとして映画に関心をもちつつ、当誌以外にも小論を寄せたりしていたようですが、村山執筆による当号掲載映画論については、下記のサイトでその重要性が指摘されています。
http://w01.tp1.jp/~a920031141/oginoshigeji.html
画像中、縦組みで「メトロポリス」と映画ポスター独特の書体の文字組が目をひく紙モノはと云えば、信州長野の「春秋映画観賞会」主催による映画「メトロポリス」上映会の小型ポスター。
封切館であった松竹座で上映された後、その評判により地方でも上映されていったのであろうこと物語る物件であり、長野と信濃の有力新聞社や文芸協会等が後援していることから、鳴り物入りの上映会で規模もそこそこ大きかったのだろうと推測されます。
ごく薄い紙を使い、スミ一色で印刷された至って質素なものですが、それだけに残存部数は相当に少ない、と云うより、このようにほぼ完ぺきな状態で現在まで残ったこと自体、まずあり得ないだろうと思われる希少品です。
■久しぶりに落札した書籍を少し。全て鳥居昌三旧蔵書。画像左端より時計回りに……
『パンツの神様』 藤富保男著 1979年 初版 鳥居昌三手製箱・著者自筆ハガキ付 署名識語入 エッセイ集
『詩集 時間の表情』 楢山芙二夫著 VOU発行 発行人・北園克衛 1975年 限定194部 献呈署名入 著者自筆メッセージ1枚付
『硬化するゼロ ソネット30』 大洲アキト著 1966年 限定200部 署名・日付入 鳥居昭三手製箱・ハガキ付
『詩集 乾いた種子』 西卓(VOU8人集のひとり) 1958年 献呈署名入 ハガキ付 笹岡信彦装丁、
ここに挙げたのはとくに装丁に惹かれたものですが、この他、加藤郁乎と瀧口修造『掌中破片』藤富署名入『カミングス詩集』、金子光晴『鮫』、望月通陽手紙付『ミラクル』など14冊、少なくとも来週より店頭に ……… 出したい。出したいのはやまやまだが! さあ!! どうなる!!!
■先週水曜日頃からぐずぐずしていた体調不良により、土曜日未明の更新をしないまま7日は臨時休業してしまいました。万一ご来店下さった方がいらっしゃいましたら伏してお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。
加えて、今週も営業日程に変動が。
市場のスケジュールの関係で、今週店は10日(火)と14日(土)のみの営業とさせていただきますます。両日とも12時より20時までと、営業時間はいつも通り。
色々とご不便・ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご海容を賜りますよう、ご来店時にはご注意いただけますようお願い申し上げます。
お陰様で体調の方は元気を取り戻しました。ご心配をおかけし大変申し訳ございませんでした。併せてお詫び申し上げる次第です。
■巻頭序文が「子どもたちに」で始まる『MACAO ET COSMAGE(マカオとコスマージュ)』については、日本語で読めるデータが非常に少なく、ほとんど唯一ヒットしたのが、イラストレーターのたむらしげるさんののツイッターで、「25年ほど前、初めて購入した洋古書絵本」と書いておられます。
34.5cm角と云う大判で、表紙・見返し含め全56Pポショワールという贅沢なこの絵本、小店にとっても初見で初入荷となりました。刊行は1919年。ポショワールの技法は確かなもので、また、時代的にはアール・ヌーヴォーからアール・デコへの移行期にあたり、いまだヌーヴォーに傾いてはいるものの、とくに構図や単純化したデザインの一部にはデコの兆しも認められます。
物語はごくシンプルで、都市化・観光地化がもたらす自然破壊の風刺物語。白人男性と黒人女性が幸せに暮らしていた静かな島を舞台に、1隻の船がやってきてから急速に変化していく様を描き出します。高いビルが立ち並び、工場の煙突が真っ黒な煙を吐き出す描写など、フランス・マゼレールの作風とよく似たところも散見されますが、どこかバンド・デシネを思わせるコミカルで洒脱な絵は、ストーリーを的確かつ印象的に伝えてくれます。
作者であるエディー・ルグランの名前は、岩波文庫で絵入りで翻訳が出ているアナトール・フランスの『少年少女』のイラストレートターとして知られる他、澁澤龍彦が『世紀末画廊』で本当に僅かに言及している以外、これまた日本語で読めるデータはほとんどありません。
下記のサイトによればルグランは1892年にボルドーで生まれたイラストレーター・画家。広告用のイラストと本の挿絵でキャリアをスタートした後、絵画にまで世界を広げますが、第二次世界大戦後は主にニューヨークを拠点に商業イラストレーターとして活躍しました。
http://www.askart.com/artist/Edouard_Edy_Legrand/11144021/Edouard_Edy_Legrand.aspx
『MACAO ET COSMAGE』は、彼の仕事の出発点に置かれる本であり、子供向けに出版されたものだけに現存するものは非常に少ないらしく、2000年には復刻版が刊行されています。稀本。
■この本、最後に市場で見たのがすでに4~5年は昔のこと、私の記憶にあるなかでは3度目の入札でようやく落手できました。小店としては非常に珍しく、上に続いてこちらもまた絵本となりました。『子供之友』シリーズの1冊で、村山知義・武井武雄等作画『東京ノ地震ト火事(トウキヤウ ノ ヂシン ト クワジ)』。
表紙・裏表紙含め全16P・2色刷。当時すでにカラー印刷を導入していた『子供之友』にあって全ページ2色刷を余儀なくされたのは、発行があの関東大震災から僅かにひと月後、10月1日だったという事情あってのこと。巻末に置かれた発行元・婦人之友社の「オシラセ」は次のように書きます …… “「子供之友」ノ十月号ガ チヤウド 印刷ガデキアガツテ コレカラ製本ヤニ”というところで地震による大火にあい、一冊残らず燃えてしまったこと、そのため、自分たちがすぐにまた全く新しい10月号の編集を始めたこと、1日も早く出そうとして苦心したこと。そして、出来上がったこの『子供之友』10月号が “子供之友カラ 皆サンヘ コンドノ東京ノ ヂシント火事ノ アリサマヲ オ知ラセスル オテガミ代リデス。”と。
震災から1ヵ月、簡素な絵本1冊を出す。一言で云えば簡単ですが、そこにこめられた思い、刊行までに払われた努力、乗り越えなければならなかった障害、やっつけとは思えない仕事の質等々、この1冊にどれだけの人たちのどれほどの思いが込められていることか! 見てくれば質素ではあるけれど思えば重たい、実に重たい1冊です。
画像では全て村山知義作画のページをとりましたが、武井武雄作画が2点、作者不詳の1点が含まれており、詳細については図録『村山知義の宇宙』(2012年神奈川近美・世田美他)171Pなどをご参照いただくのが確かであろうと思います。
村山知義についてはもはや海外の古書愛好家によく知られる名前となりましたが、この本についてもかつてアメリカの蒐集家の方から問い合わせをいただいて驚いたことがあります。さてこの1冊、果たして日本に残るでしょうか …… ???
■今週はこの他、鳥居昌三旧蔵の詩集と限定本を一口ずつ、明治時代の建築関係雛形を十数冊、たばこ・マッチ等戦前ラベルの貼込帖2冊、日本画・書道関係の道具・備品数点が10日には店に入ります。
画像3点目は北園克衛旧蔵の後、鳥居昌三旧蔵を経て小店架蔵となった北園克衛宛・植草甚一署名日付カット入り『映画だけしか頭になかった』の初版本。本を-しかも戦後の本を-買ったのは本当に久しぶりのことです。
■来週からは2018年度。2017年度もお陰様で小店会計的には黒字となりました。が、元々高かった原価率の急騰にのけぞりました。一般的な本はやらないと決めてから覚悟していたことではありますが、しかしまさかここまで嵩んでくるとは……。 2017年度の数字を見、少しどうにかしないとまずい。このまま行ってはあぶな過ぎる。なんて思っていたというのに。いつまで経っても学習能力が限りなく「ぜろ」に等しい小店店主、そんな矢先に大量の落札。しかも何故にこんな値段 !? というのがちらほら。
桜の花びらの散る風情なら ちらほらも絵になるのですが、小店の方のちらほらはさっぱり絵にならず、同じなのは「あとは ぱあっと散るだけ。」というただ一点のみ。東京の桜は昨晩からさかんに花びらを散らしておりますが、こちらはせめてもう少し枝にしがみついているべく、今週の更新は「ちらほら」から選びました。動機不純な選択であります。
■中国の方たちの購買力はまだまだ健在だということなのか、古書の市場では中国関係、とくに植民地時代関係の商材の落札価格は依然として高止まり。とくに地図や薄い冊子など紙モノに近い商材については市場での競争も苛烈。そうしたこともあって満洲関係は暫くご無沙汰していましたが、今週は久々の入荷です。
『流線形 特急あじあ』は1937(昭和12)年、南満州鉄道(株)が発行したパンフレット。B6サイズ20Pの小さなパンフレットですが、落札価格は立派な写真集なみでした。
肝心の内容ですが、これが徹底的に「あじあ号」の優秀性を説明したもので、これまでの鉄道では実現できなかったスピードとそれを可能にした技術、さらに、これまでにない快適性を実現した車内環境とそれを維持するための仕組みや機能等の解説に徹底的に特化しているのが、他の「あじあ号」関係の印刷物とは異なる面白いところではないかと思います。写真も掲載されていて停車しているあじあ号の停車中の外観を含む14点を数えます。
■グレーの表紙にあるこげ茶色のタイトルが見辛いかと思いますが、横に長いもうひとつの方は題して『観光都市 安東とその近郊』。康徳9年=1942年=昭和17年、満洲の安東市に置かれていた「安東商工公会」から発行されたものです。A5変形(横が長い)・46P。
上の『あじあ号』とは対照的に、こちらは情感豊かに安東の発展と魅力とを表現しようという意図がうかがえます。競馬や競犬(?)なんて章も。
なかでも力がこもっているのが工費数億円を投じたとされる「大東港建設譜」の章で、満洲にとって非常に重要な不凍港の完成に対する期待のほどがうかがえます。
この2冊は分売で、本日より店頭へ出す予定です。
■さて、こちらはとても面白い。面白いけれど一体どういった方が何のために買うのかさっぱり頭に浮かんでこない、大正から昭和初期にかけて丸亀およびその周辺のどなたかが所有或いは管理していた丸亀市中13の町の土地と家屋に関する緻密かつ詳細な台帳です。
丸亀が町から市へとなったのは明治32年=1899年。当台帳も明治末~大正初期につくられたものと見られます。2冊とも全て筆書き、彩色も手仕事で、間取り図の細かな書き入れには驚嘆しました。
『貸家土地台帳』は地所の住所、正確に計算された面積、家賃と税額などを、地型図面とともにまとめたもので、各町別の扉には、当該地所を地図上に落とし込んだ彩色図も添えられています。
『貸家台帳』はタイトル通りいわゆる上物に関する情報をまとめたもので、1軒毎に1頁を割き、
設えや付帯設備まで非常に細かく書き入れた間取り図と、土地面積、建坪、付帯施設名とその面積などデータとで構成されています。
厚さにして約2cm分の間取り図には、倉庫を擁し多くの部屋を備えた商家向けの物件や富裕層向けと思われる豪邸から、京都の町屋にも似て間口は狭く細長い上流~中流向けの家屋、3畳から6畳の一間、板座と板戸がついてるだけで風呂なし、厠なし、がしかし2階がある例も見られる狭小家屋(いまならワンルームマンション?)、さらに窓もなければ床板もない、云ってしまえばただの小屋といった体の物件まで、ヴァリエーション豊富。一部屋ながら床竹敷きの部屋があったり、2階はあってもそこに床がないなど、突っ込みどころもいっぱい。いまならさしずめ東京R不動産のサイトといった感じでしょうか。
全体を眺めていると、町によって家屋の標準的な面積が異なっていたり、厠というのは1軒毎に備えるのではなく、いわゆる共用部分をつくってそこにまとめて設置する例が多かったり、いまで云う家屋の原状には戸板や欄間などが含まれる一方、竈や台所、風呂などは原状に含まれていないなど、意外な発見もたくさんあります。壁と屋根に板戸1枚の掘っ立て小屋の借主に女性の名前があるのを見るれば何だか胸も詰まります。
およそ100年前の間取り図は(ごく一部の富裕層を別にして)、おそらくはあの敗戦の後の民主化によって、人々の生活が少なくともより良く豊かになったこと教えてくれているようにも思えてくるのでした。
■本日より再び市場への出品作業のため、店内暫く取り散らかる格好となりますが、ご来店の際にはお探しのものなどお声をおかけいただければ幸いです。