#205 6-1-6 Minamiaoyama Minatoku TOKYO
info@nichigetu-do.com
TEL&FAX:03-3400-0327
sitemap mail

new arrival

22/06/25 百貨店の包装紙と百貨店前ストリートでの暗黒舞踏

■先週は週の後半から新潟出張~市場~カーゴ8台分仕分け~出品というスケジュールが続き、『少年ジャンプ』創刊号・美本1冊やSDガンダム未組立品美品の落札価格に仰天しつつ(お買い上げ下さいましたこご同業のみなさま有難うございました)、店はほぼ休業状態となりましたが、今週より通常営業の店に戻りました。今週・来週はHPの更新も復活です。
久しくご無沙汰続きだった戦前の包装紙がいくらかまとまって入荷いたしました。なかなか筋の良いラインナップです。
「銀座 丸ビル 伊東屋」茶色と白の各1枚と小さい紙袋1点、「東京神田 三省堂」1枚、「東京市日本橋区 丸善株式会社」1枚、「合弁会社冨山房本店」1枚、「神田駿河台下 文房堂」1枚、「三越」4種10枚と小さい紙袋1点、「伊勢丹」2種3枚、「東京銀座 松屋」1枚と小さい紙袋1点、「マツサカヤ」4種7枚、その他「宮内省御用達 鳩居堂」「舶来美術品雑貨商 フタバ商店」「麻布天現寺橋際 街書店」「アルバム・文房具 神田 鶴屋」「日本諸名士肖像写真 亜細亜風物写真 機山閣書店」など。「機山閣書店」の包装紙には扱い商品が記載されているのですが、これがなかなか興味深くて…といったあたりは店頭でご覧いただくとして、本日の画像に選んだのは日本橋にあった百貨店「白木屋」の包装紙。入荷したの包装紙4種5枚と小さい紙袋1点で画像は重複分1点をのぞいたもの。
包装紙はゼロ年代には扱い初めていたように思うのですが、長年みてきた包装紙でも個人的な好みで一二を争うのが幾何学的描線で構成された白木屋の包装紙(画像中にあるオレンジとブルーの2種類)です。
日本橋にあった百貨店・白木屋といえば、キモノの下に下着をつけていなかったばかりにビルから飛び降りることができなかった女性ちが焼死したというエピソードで知られますが、その時焼けた建物というのが、いまもモダニズム建築の代表作として知られる石本喜久治設計の近代ビル。包装紙のなかにも建物の外観が描かれていますが、そうした部分ではなく、むしろこの包装紙全体が、モダニズム建築の設計図にも似た、象徴的なデザインとなっています。
石本の設計による白木屋の竣工は第一期が1928(昭和3)年、第二期が1931(昭和6)年。そして、その印象的なファサードから炎と黒煙が噴き出すことになる火災は第二期竣工の翌1932年のこと。従って、この包装紙が使われていた期間は短ければ1年弱、長くてせいぜい3年ほどのことになります。 

設計を手掛けることになった石本喜久治は「分離派建築建築会」を立ち上げたモダン建築の旗手。私邸設計ではカーテンやカーペットのデザインまで手掛けた例もあり、或いはこの包装紙をデザインしたのも石本だったのかも知れません。少なくとも「モダニズムを代表する包装紙」のひとつである。と、小店店主、ひとりで力説しておりますがさて…。

今週入荷した包装紙の中には新宿伊勢丹のものもありましたが、戦後の高度成長期を迎えた時代の伊勢丹前の交差点から、いまABCマートのあたりまでの歩行者天国で繰り広げられた宮下省死の暗黒舞踏の写真がまとまって入荷しました
新宿で歩行者天国がスタートしたのが1970(昭和45)年。今回入荷した写真と一緒に出てきた公演のチラシ『宮下省死氏舞踊会 彗星遊び』が1972(昭和47)年。パフォーマンスが行われたのは1970年代初めの頃のものとみてよさそうです。
ちなみに、チラシの表記「舞踊会」は元ママ。「舞踏」としていないのがちょっと不思議ですが、宮下が、土方巽が命名した鼠派演踏鑑を旗揚げしたのが1975年だったことと関係しているのかも知れません。
実のところ、小店店主にとって、もっとも難解でなかなか理解できないのが暗黒舞踏という分野。この写真を買う気になったのは、宮下の動きと表情を濃やかにすくい上げているのはもちろんのこと、70年代初頭の新宿という劇的な、非日常の都市の空気を細部まで写しとっているようにみえたからでした。
歩行者天国の道沿いにはまだ三越があり、ビル袖にはいまはもうない鈴屋の看板が掲げられ、休日の若者やカップル、家族連れがパフォーマンスを取り囲むその風景は、小店店主がまだ小学生だった頃にながめていた新宿の姿そのものであり、或いはこの群衆のなかに50年前の自分と家族が写っているのではないかという気がしてきます。
宮下の衣裳から、2回のパフォーマンスを撮影した2Lサイズのモノクロ写真124枚に、1972年に千代田会館で開催された「宮下省死氏舞踊会 彗星遊び」の色違いのちらし4枚、チケット1枚をつけた一括での販売を予定しております(チケットの雑駁なコラージュに時代を感じます)。
尚、「舞踊会」には「吹奏 阿部薫」とのクレジットあり。もちろんあの伝説のサックスプレイヤーその人。

■今週の斜め読みから。選挙の前に考えておきましょう。
賃金と物価について端的に → こちらへ
新しい精神をもって世界を変えたまえ! → こちらへ。

 

22/06/10 チャップリン!!! コティ!? 壽屋ことサントリー!

■先ずはお伝えしておくべきお知らせから。来週地方出張の関係で店の営業は6月14日(火)の12時~17時のみとなります。19日からの週はまた通常の火・木・土曜日のそれぞれ12時~19時の営業に戻ります。ご不便をおかけいたしますが、ご容赦下さい。そして来週のご来店の際には、営業日にご注意いただければ幸甚に存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

入口平台の展示を変更しました。変化朝顔をモチーフとした明治~大正時代の木版画で初夏の装いに。他にも在庫がありますのでご覧になりたい方はお声をおかけ下さい。

■市場でのこと。入札用の封筒には出品物のタイトルとして「小澤征爾写真」とあり、確かに署名入りの小澤征爾の写真がクリアボックスに入っているので、まあ自分の店とは関係ない筋なんだろうなあと思いながら、しかしエフェメラなので中身を確認することにして箱を開いてみたらびっくり! だった2点が今週最初の画像。
入札用の封筒には、「小澤征爾写真」と書くより「チャールズ・チャップリン 署名入り写真」と書いた方が入札しようという業者は増えるだろうし、増えれば自ずと落札価格はより高くなるだろうと思うのに、こういう手抜きというか雑なというか投げやりなというのか、いずれにしても考えることや調べることにほとんど興味のない古本屋さんたちの仕事がもたらす見落としの部分が、小店のような後発でアテにできるお客さんももたず結局いつもお金なんて全然ない古本屋を生き延びさせてくれてるんですよね的な感慨にふけるようになったらもう店仕舞いのことを考えるべきなんだよなあと思うことしきりの昨今 (ここまで読んだあなた! 偉い!!!)。
チャップリンの署名入りブロマイドが入荷いたしました。
ブルーインクの万年筆で書かれた署名にはやや擦れが認められますが一息で書いたような勢いがあり、また、他のサインと比べて筆跡にも全く問題なく、自筆と判断。氏名の上の2文字は辛うじて「Yours sincerely」のように読めます。

写真のサイズは24×16cmとブロマイドとしては大判
画像でご覧の通りまだ年若い頃の写真で、『チャップリン自伝』に載っている写真と対照したところ、「ミルドレット・ハリスと新婚時代の私」の写真と酷似していることが分かります。ハリスとの結婚生活は短く、1918年から1920年まで。従ってこの署名入りブロマイドも1920年前後のものとみられます。
先日、NHKの「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「ヒトラーvsチャップリン 終わりなき闘い」をみました。「映画史の中で最も重要な人物のひとりと考えられている」。Wikipediaに書かれたこの1行たどりつくまでには、チャップリンの信念に基づく数々の闘いがあったことが描かれていて圧巻でした。見直しました。単なる喜劇王でくくれるような人ではありません。
20世紀映画史の重要人物については、かつてエイゼンシュテインの衣笠貞之助宛てメッセージを扱ったことがありますが、正面から臨めば厳しい闘いになっていたと思われる今回物件、入手が叶ったのはひとえに封筒に「小澤征爾写真」と書かれていたお陰ではないかと思います。有難う小澤さん。

チャップリンの写真に並べた紳士の写真もまた、同じ「小澤征爾写真」のクリアボックスに収められていたもので、香水で有名なコティ社の創業者フランソワ・コティの署名入りの写真。1933年9月13日の日付入りですが、この年、コティは上院議員選挙で当選したものの、直後に選挙違反で失格に。また、離婚がらみの紛争を抱えるなどゴタゴタが続いていた挙句、この翌年には肺炎で亡くなります。チャップリンより15年先に生まれたコティは右翼、反ユダヤ、親ファシズムとチャップリンとはおよそ対照的な人物だったようで、右も左も時代も分野も何の脈絡もなくいっしょくたにして市場に任せられてしまうというのも古本屋の仕事の面白さではありますが。
ちなみに、同じ口では他にアルフレッド・コルトーのメッセージ入りの名刺も。
もうひとつちなみに言い添えておくと、誰も気づかないのではないかと思っていたこの一口、落札は中札でした。どんなにヒントが少ないものでも、下札で軽々とは落とさせてくれないのもまた市場ならではのことであると、同業者への信頼をこめて云っておきたいと思います。

■あのラリックのボトルで有名なコティの創業者が政治的活動に積極的で、なおかつファシズムを支持していたなんてことは、今回偶さか上の写真を入手して調べて初めて知ったことですが、こちらもまた、いまから半日ほど前に政治がらみで刑事告発された企業にかかわる新着品。
サントリーさんがまだ壽屋と云っていた時代、戦争が終わってようやく復刊した酒販店向けPR誌『壽屋商報 発展』の復刊第1号から19号までの揃い発行年度でいうと1953年から1956年(昭和28年から31年)の発行分です。
酒販店をターゲットとしたPR誌だけあって、小売店へのノウハウ提供や小売店関係者を巻き込んだ企画が多いのが特徴。「これからの店員教育」「御意見拝聴」や拡販をめぐる座談会など、店舗関係者からの意見・情報の吸い上げが随所にみられ、特に「ここにこの店」と題し各地の繁盛店の店頭写真を店長・店員のコメントとともに商会するグラビア特集は時代を感じさせて面白い記事になっています。毎号著名人が登場する巻頭グラビア「愛飲家スナップ」(力道山も!)「酒食料品店の主婦・婦人店主は語る」(座談会)、「店員日記」入選作発表、トリスフォトコンテスト連載小説「愛の飾窓」(!)、店づくり・改造指南(文化住宅地の店舗改造の実例、スタンドバーのデザイン、川喜多煉七郎執筆記事等)、東京のバーブーム等流行記事など。
後のサントリーに見られる文化的なアプローチはまだ表立っておらず、あくまで実利を追求する内容ではあるものの、情報量としてはかなりのもの。また、挟み込みの販促用のチラシ1枚や、各号裏表紙のサントリーの広告には、サントリーらしいセンスがよく表れいています。
さすがはサントリーというべきPR誌、この年代のものがまとまって出てくるのは稀。

■投資話しなどまでもちだされて日本ただいま崖っぷち …… という状況をうまく言葉にしている人たちを下記に。
進め一億火の車だ!
21世紀・新しい敗戦に向けた標語は「こちら」から。
新しい敗戦へのアプローチについては「こちら」から。
で。いま世界は日本を注視しているそうでその内容というのが「こちら」。
まさしく「先進」国 としての栄光というべきか……
 

22/05/27 慰問書簡にみる? 日露戦争・太平洋戦争

■21世紀はSDGsを軸に、世界は新しいパラダイムへと進んでいくのだろうとばかり考えていたのが大間違い。独裁者やら帝国主義やら、歴史の亡霊を呼び出そうと目論む数人の御仁によって、世界はいま、するすると時間を巻き戻されつつあるようです。
ウクライナへのロシアによる軍事進攻は、戦地において兵隊同士で戦う従来の戦争が、市民の生活の場へととめどなくこぼれ出した第二次世界大戦以降のあらゆる戦争の続きを見せつけられているようで一層に滅入ります。
ロシア国内での世論はいま一体どうなっているのか分かりませんが、しかし、勇ましく前進し自国の「強さ」を信じる人たちのなかには - あのサッカー・ワールドカップやオリンピックで自国チームに熱狂する様子などに似て - 多少なりとも高揚感があるのではないかと推察します。
戦争に加担しているなどといった意識のないまま、ちょっとした高揚感を楽しんでいたのではないか… そんな推察を裏付けるような太平洋戦争突入後のごく早い時期のものとみられる慰問書簡が今週の1点目。中支に派遣された横井部隊に所属する兄に宛て、弟がしたためたもので、少々ユニークと云うのか破格というのか変わった代物です。
珍しいのは単純に文章を綴るのではなく挿絵や新聞切り抜き、関係者の写真と挿絵をコラージュするなど、視覚的な要素がふんだんに盛り込まれていること、そして、果たして何メートルになるのか計るのが面倒なくらいの長い巻物仕立ててあること。中支の部隊に届いていたことが分かる書き込みがあることから、これでもちゃんと届いていた(そして兵士とともに日本に戻ってこられたもの)と見られます。
この慰問文では、挿絵が言葉の代わりになっていて、例えば冒頭は
「御兄様 御機嫌如何です (蛇の絵) い間ご苦労様でございます (日本列島の絵) は今年天候が良いので増産々々で張り切って居ります (米俵 かぼちゃ とうきび スイカなどの絵)」とあり、蛇の絵は「長い」日本列島は文字通り「日本」と読ませます。盆踊りや大文字といった日本の夏の風物詩を描いた挿絵もあり、なかなか達者。

やがて親しい人たちの近況へと移ると、今度は当事者の写真と絵とを組み合わせたコラージュが現れます。
「叔父さんも御年ににず非常に元気で (畑の絵の真ん中に立つスーツ姿の男性の写真) この通りです」といた調子。
「ジャバの治橋開通」の新聞記事の貼り込みには矢印がひかれ、「これが御兄さんらしいと云ふので大さわぎしましたが如何でしょう」と書かれています。
この他、セーラー服にモンペ姿の女学生が日の丸を振っていたり、戦闘服で飛行機に乗り込んだまだ幼い少年など、登場人物も多彩。
そして、「敵機がいくら弾を落としてもヘッチャラです。僕の組は訓練がちゃんとできて居ますから」「大いに英米のビョロヒョロ兵をやっつけて下さい」と、文末に至るも意気盛ん。
中支での侵攻の実態やその後の歴史を知る身からすると、いささか不謹慎と思われるような陽気さ、楽しさに満ちていて、またしても何だかやるせない気持ちを味わうことになりましたが、それは多分、あの時代の空気を紙の上に係留するのに成功しているからなのだろうと思います。
意を決して長さも確認してみました。全長425cm。大作でもあります。

その後の戦局を考えると、牧歌的と云いたくなるような1点目と同様、或いはそれ以上に市民の生活と戦地とが遠く隔たっていたことを体現しているかのような日露戦争当時の書簡箋が今週の2点目。
明治時代の引き札によく使われた日本髪・キモノ姿のこの女性像の趣味の悪さ(大正時代あたりまで団扇絵などでも使われたこの手の絵柄、実は小店店主、大の苦手)に、これは仕入れるべき商品なのかどうか大いに悩んだものの、それだけでも珍しいポップアップ書簡箋なんてものがあって、しかもそれが完全なかたちで残っているというので入札したものです。
画像手前の書簡箋は風を開けると、旭日旗や桜の花の模様、「大勝利」の戻が描かれた提灯が立ち上がる仕掛け。便箋に書かれたスミ文字は、韓国京城の兵隊さんが、「大日本帝国愛知県」の「御父上様母上様三郎殿五郎殿」に宛てて書いた墨書直筆なのですが、あまりに達筆で(この辺りも上の慰問文とは大きな違いです)読めません。が、どうやら近況報告のようです。

ポップアップの提灯以外の図版は全て石版刷。画像ではお伝えしきれないと思いますが、女性の髪の一本一本まで細かに描かれており、日の丸と旭日旗とを組み合わせた小さな簪までさしているのがミソ。
また、よく見ると、「意匠登録出願中戦捷紀念萬歳書箋」と印刷されており、当時尖端の情報ツールだったといえそうです。
もう1点、、グリーンの薄紙でできたアーチの上に日章旗と旭日旗をあしらったものもポッップアップの仕掛けもの。おそらく同時代、こちらも石版刷ですが未使用です。
同様の女人像と国旗、戦地を思わせるモチーフを組み合わせた絵入りの軍事郵便(書簡箋)2点も入荷しています。

■国立国会図書館でも美術館横断検索でもひっかからなかった雑誌『東京映画小劇場』の第4輯から第9輯(1930~1931年)が入荷しました。
マイナーな雑誌ですが、実験的映画の専門上映館「映画小劇場」の実現を目指す集団が主宰した映画の総合雑誌。評論あり、技術論あり、随想あり、翻訳ありとなかか多彩で、執筆者には板垣鷹穂、堀野正雄、飯島正、八田元夫、高田博厚の名前も。第8輯は「ソヴエート映画号」で、他の号にも当時のソ連映画の色濃い影響がみてとれます。
また、トーキーへの移行期にあたり、発声映画への目配りも。
表紙だけみても、映画小劇場運動に関わる人たちの新しい精神がくみ取れるのではないかと思います。

今週はこの他、書籍の図版を中心とした銅版の版下、書籍のタイトルを鋳込んだ活版活字が靴箱程度のサイズで1箱入荷いたします。

■イデオロギーと文化芸術は全くの別もの。ですが、例えばある一連の公演にべったり政治が貼りついている場合はどう考えれば良いのか。難しい問題です。で、この場合は?
http://www.russian-festival.net/festival.html
先日はミャンマーの国軍兵士を防衛省が研修に迎えたり。
日本の歯車もまた、巻き戻されていきそうな……

recent catalogue C by image