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22/08/20 関西のモダニズム 美術と詩・建築 / 草月で人形劇 となればもちろん前衛!

■コロナが盛大に感染拡大しているところで迎えた「規制のない」夏休み、どのようにお過ごしでしたでしょうか。小店はお陰様で何の変わりもなく、今週木曜日より通常営業に戻りました。
休みが明ければ早くも8月下旬、早速仕事モードに切り替えて休み明け最初の新着品のご案内です。
まだまだ暑いぞということで、今週はクールな商品を取り揃えました。
クールな、なんて云えば聞こえは良いのですが、要は斜に構えていてとりつく島もない商品ということになるわけで、こんな再スタートで残り4か月の2022年、どうなることやら。

それはさておき。今週の1点目は『ESCALE-エスカアル生誕記念 絵と詩の展覧会目録』1925年11月、「神戸山ノ手 中央メソヂスト教会」で開催された展覧会の出品目録です。
誕生したばかりらしいエスカアルとは何ぞやということになるわけですが、当目録の裏表紙の記載によれば、「文化と経済とを基調とせるエスカアルの仕事」とあり、「美術部、出版部、工務部、経営部」からなる組織で、具体的に提供できるサービスとして「装飾美術、文案訳文、記念塔設計、建築設計、家具設計」を挙げています。いまならさしずめアーティスト集団といったところでしょうか。美術部のメンバーである今井朝路のもとには工房も置かれていたようです。
画家であった今井朝路は明治29(1896)年、神戸生まれ。中学時代に竹中郁とともに詩の会を開催したり、小磯良平と交流したり。尾竹竹坡らに師事して日本画を学んだ後、川西英の勧めで洋画に転身。演劇に興味をもてば劇団を結成して…といった具合で、典型的なモダンボーイだったもよう。同士によるゆるやかな集まりで仕事をうけてはどうかという発想も、こういう人にとっては自然なことだったのかも知れません。 

竹中郁や寺島貞志郎、その他工学士などが名を連ねた仕事集団・エスカアルの誕生を記念した「絵と詩の展覧会」には - 今井朝路の素描20点 / 今井と親交の深かった川西英の素描3点竹中郁の作品(詩編か?)3点 / 岡本唐貴・浅野孟府らが神戸で結成した前衛芸術家グループ「DVL」に参加、1924年第4回県展(兵庫県美術協会主催)に出品するなど活動していた寺島貞志郎のリノカット、木版、写真雑誌『白陽』表紙4種など14点 / 竹中郁ら関西学院文藝グループと接点をもち、また「DVL」に参加していたとみられる神戸活動した前衛芸術家・田中時彦の素描など3点 - などが出品されました。
「蝙蝠傘と帽子と手袋」(蝙蝠傘!)など油彩画14点を出品したエスカアル工務部所属の工学士・高松信一など、気になりはしたものの、これまでのところ手掛かりはなし。エスカアルというグループについても、活動についても謎ばかりです。
アヴァンギャルドでモダンでクリエイティブな集団・エスカアルは、まだまだ深堀りのし甲斐があるグループに違いないと思います。
ちなみに「エスカアル」はフランス語で寄港地のこと。メンバーそれぞれ、一時的な寄港地の向こうにどのような目的地を思い描いていたのか、いかにも青年らしいネーミングだと思います。

■エスカアル生誕記念の展覧会から2年後の1927年、エスカアルと同じように、関西に地盤をおく建築家たちによって、モダニズム建築の実現を目指して結成されたのが「日本インターナショナル建築会」です。会の中心人物のひとりが上野伊三郎。今年展覧会が開かれて注目された上野リチのパートナーであり、京都にあった上野の事務所がこの会の結成の地となりました。
新着品はこのグループによって開催された『第5回建築展覧会』の出品目録。大阪三越で開催されたもので、日本インターナショナル建築会の活動期間=1927年~1933年から推測して1931年前後に開催されたものとみられます
インターナショナル建築会会員出品13点の他、一般募集入選作19点を含む全60点の出品で、展示品としては図面が最も多く、模型や写真、ポスターなども含まれています。
出品数が最も多いのが「BAU同人出品」の16点。風月堂南出張所、パリジャン喫茶室、バー・エトワールなどの写真、コーヒー店・或抽象のポスターなど、実作を多く手掛けての出品が目立ち、少なくとも関西では知られた存在だったのではないかと思われるのですが、手短にある文献と検索では、これまでのところ何のヒントも得られていません。 

「日本インターナショナル建築会」については、機関誌『インターナショナル建築』が復刻されるなど研究が進んでいるようですが、その周辺については、依然手つかずのところもあるようで、こちらもまだ掘り出し甲斐がある部分が残されているのではないかと疑っています。

■子どもの頃、よく見ていたテレビといえば「ひょっこりひょうたん島」と答えていた世代がいまや還暦前後。1964年にNHKで放映が始まった「ひょっこりひょうたん島」の人形劇の部分を担っていたのが人形劇団ひとみ座でした。
「ひょっこり~」でお茶の間に進出する2年前、草月会館で、いかにも草月らしい布陣で前衛的な人形劇に挑戦していたことはあまり知られていないのではないかと思います。
『俊英三詩人による 人形劇作品3本』のパンフレットが入荷しました。1962年、草月会館ホールでの公演です。
俊英三詩人とは、岩田宏、谷川俊太郎、寺山修司。
岩田宏の「脳味噌」は、音楽・秋山邦晴、フイルム構成・大辻清司、美術協力には辻村寿三郎の名前も。
谷川俊太郎の「MOMENT GRANDGUIGNOL ESQUES」の美術は真鍋博、音楽は湯浅譲二、演奏はグループ音楽(!)。
寺山修司「狂人教育」は山本直純の音楽に金森馨の装置
パンフレットには各作者のメッセージの他、瀧口修造、武満徹、湯浅譲二、和田勉らの寄稿、そして、安部公房に取材した対談形式の記事6Pが掲載されるなど、草月アートセンターの強い影響がみてとれます。
SACジャーナルと同型の枡形パンフレットのデザインは真鍋博。
草月の紙モノもめぼしいものはほとんど収まるべきところにおさまった感はありますが、ひとみ座は見落とされている可能性もありそうです。
ちなみに表4は日野自動車「コンテッサ」の広告。『ひとみ座 No.4』のおまけ付きで!

■今週の斜め読みから。
どこをどう押せばこの人に登板せる気になっちゃうんだか。
まあ親分だったヒトからして一貫性はないし嘘はつくしで
そろそろ歴史的総括に入ってもよろしい頃ではないか、というか、しておかないとあぶないんじゃんいかと思うんですがねえ。

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