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21/11/12 重さ約480g? 日月堂 開店25周年!


■この夏、『東京古書組合百年史』という本が出版されました。東京古書組合(略称)の周年記念出版で、発行は2021年8月20日、発行所を東京都古書籍商業協同組合としています。
菊版・二段組382P。堂々たる厚冊です。重さをはかってみると960g。「百年史」と云いますが、東京古書組合には『五十年史』がすでにあるので、この厚さは実質ここ50年のことを集約したものと云えるでしょう。
組合員である小店にこの本が届く少し前、店主は還暦を迎えたところでした。
還暦といったところで年々仕事をこなす効率は低下し、目はぼやけるし膝は痛むし。最近では前歯が少し欠けるなんてこともあってポンコツぶりが目立つばかり。何の感興も沸かないまま、還暦とはまあこんなものかと思っていました。
そんなところに届いた『東京古書組合百年史』です。
近年稀にみる厚さの本を前に、1996年、35歳の時に開業した日月堂の歴史は、東京古書組合の歴史の丁度1/4に当たることに気づきました。実質50年分の歴史を振り返ったこの分厚い『百年史』で云えば丁度半分、重さにして480g分にあたることになります(なるのか?)。
そんなことを思いながら手にもち重みを確認し、机の上に立てしみじみ眺めているうちに、25年という月日は、もしかしたらなかなかのことなのかもしれないなと思い始めました。
これまで10周年も20周年も等閑視してきましたが、四半世紀という"年月の厚み"を目の当たりにして少々たじろぎました。そうか、25年とはそういう時間だったのか。

もしかしたらなかなかなことかもしれない25年は、野のものとも山のものともつかない古本屋とお付き合い下さった、それこそ大人物(冗談ぬき! 大真面目に!)と称されるべきお客さまの存在なしにはあり得ませんでした。
インターネット検索などない時代に素人のまま開業し、何も知らずに初めて手にした戦前の本などにまで値段をつけ、いまは誰も値段をつけたことのないような紙ペラ1枚に値段をつけています。それによって食べてきた小店です。知らないもの、価値体系が定まっていないものに値段をつけ続けた25年でした。
商品をみる目と小店のつける値段を信頼して下さったお客さまがた、小店の拾い出してくる商品を一緒になって面白がって下さったみなさまに、心より御礼申し上げます。
そしてまた、ぼおーっと店で座っているだけの店主の前で、1冊の冊子に秘められた奇想天外な物語を、或いは1枚の紙の上に残る痕跡の歴史的な意味について、数冊の書物を読むに等しく語って聞かせて下さった方々に!
日月堂での25年は、小店と多少なりとも交流をもって下さった全てのみなさまからの、身にすぎる贈り物だと思っています。
本当に有難うございました。


■古本屋というのは商人です。古本屋の表現は全て商品につけた値段に収斂されています。商人である限り値段をつけた商品より前に出ることをすべきではない。ずっとそう考えてきました。
従って、これまで取材を受けたり短い文章を寄稿したりすることがあっても、とりたててご報告しないできましたが、25周年を機に、これまで取材を受けたり原稿を書いた書籍や雑誌から一部を選んで、店内入り口に置いておくことにしました(単なる店の紹介は除外しています)。期間は今月いっぱい。
できればあと5年くらいで引退したい。引退が無理でも前線から撤退できないか、と真剣に考えていることからも、日月堂に30周年はない可能性があります(そうありたいものだと思っています)。
それもあってのことですが、恥をさらすに等しいこんなことは後にも先にも一度きりにしたいと思います。とりあえず25年の変遷が多少お分かりいただけるかも知れません(店主はいまよりずっと若くて全然痩せてる自分の姿にびっくりしています)。
また、今月中にご来店・お買い上げ下さった方には 店内在庫からインスピレーションに基づき、いきあたりばったりの粗品を進呈させていただきます。あ。期待はしないで下さいね。

1996年11月15日。日月堂は現在の目黒線・大岡山駅近くで開業しました。その日は金曜日。当時はまだ目蒲線と云っていた私鉄の改札を出ると、秋晴れの空の下、真正面には雪のかかった富士山が見えました。
南青山に移転したのは2002年。5月21日(火)、パレス青山207号室の一角、3坪という狭小空間をオレンジ色に塗りこめて再スタートをきりました。
2009年にはパレス青山207号室から距離にして23歩、パレス青山205号室に移転。10月12日(月)のオープン以来、いまもここで店を続けています。
2021年11月6日、店へと向かう道の途中にはCOP21で人道的な資本主義についてスピーチした創業者・デザイナーによるファッション・ブランドがあり、ちょうど真向いに店を構えるブランドは、かつてパリで、ユートピアを目指して一斉蜂起した学生・市民を写した写真をファサードの前に大きく掲げていました。
時々、こういう顔を見せてくれる南青山という街の片隅で、いま暫く仕事を続けていきたいと思います。
2021年11月15日(月)、日月堂は25周年を迎えます。
これからも変わらぬご愛顧を 心よりお願い申し上げます。
 

 

21/11/06 1950年の新制作派協会 / 1932年の新興独逸建築工芸展覧会とその波及効果!?


■エフェメラ形態で美術・デザイン系の一次資料。専門をもたない小店ですが、この辺りは常に何か珍しいものをもっておきたいカテゴリーです。ですが、思えばいつ以来のことになるのか、この範疇に入る商品の入荷は実に久々のことになりました。ファイル1冊に収められたエフェメラは、戦中から敗戦直後まで、建築・デザインに関わっていたと思われる一人の人物の旧蔵品だったものと見られます。
今週の新着品はこのファイルから。
1点目は新制作派協会発行のパンフレット『SHINSEISAKUHA-Group of Modern Japanese Artist』。14×10cmと小兵ながら、ページを開けば海外の印刷物かと見紛う瀟洒なデザインが際立ちます。
奥付はありませんが、昭和24(1949)年1月に新設された「建築部」がすでにあること、同年秋に開催された「第13回展」の会場写真が掲載されていること、時系列的にこれらに次ぐトピックスとして「本年3月の神戸港では」という件があって、神戸博(日本貿易産業博覧会)への参加とそこでの試みに関するものと見られる記載があることなどから、ほぼ間違いなく昭和25(1950)年に発行されたものと考えられます。
パンフレットは全アート紙16P・図版入り。テキストは全て和文・英文の併記。
巻頭には帝展=官展の横暴に意を唱えて結成された当初からの新制作派のポリシーが4箇条にまとめて掲げられ、「HISTORY」「私達の絵画」「私達の彫刻」「私達の建築」が続きます。
荻須高徳、猪熊弦一郎、三岸節子、小磯良平、脇田和などの絵画部、舟越保武、佐藤忠良、本郷新らの彫刻部と並び新設された建築部は、池邉陽、岡田哲郎、吉村順三、谷口吉郎、丹下健三、山口文象、前川國男と綺羅星の如き布陣で、パンフレットでも他の部門より1P多い3Pが割かれる優遇ぶり。焦土と化した敗戦国の再建に、建築にいかに多くの役割と期待がかけられていたかを物語るもののようにも思えます。 

能書きはさておき、佇まいからして好ましいこの小冊子、印刷は美術出版社。デザインも? さすがは!

これまた頗るデザインに恵まれた3つ折のプログラムは昭和7(1932)年、上野・松坂屋の2会場を使い、建築学会・日独文化協会の主催によって2週間にわたり開催された『新興独逸建築工芸展覧会』のプログラム切取式の入場券が紙面に組み込まれています。畳んだサイズは15×15cmの枡形、表面はスミ、赤、青、金の4色、中面はスミ、赤、銀の3色使いと贅沢なつくり。切取部分が4日間にわたった開催された「講演と映画の会」の入場券部分で、旧蔵者は5月14日と21日に聴講・鑑賞したもよう。
出品種目」によれば展示品は10種。建築史や建築物に関係する写真や参考図書などもありますが、家具、工芸品、美術参考品などの展観に、モデルルームまで開設されたかなり本格的な展覧会だったことが伺えます。
情報として重要ではないかと思われるのは「講演と映画の会のプログラム」として詳解されている内容です。日別に記載された講演の登壇者の中には、武田五一、岸田日出刀、蔵田周忠、山田守、そして日本初のバウハウス留学者・水谷武彦の名前が。映画はほとんどが「東和商事ウーファ教育映画部提供」による科学・教育系で、建築とも工芸とも関係の薄いものが多く、或いは集客を考えてのテコ入れだったのかも知れません。
この展覧会に関する有名なエピソードは、ここに出品されていたマルセル・ブロイヤーの椅子を朝香宮が購入したという挿話だろうと思います。その椅子はいま、東京都庭園美術館となった旧朝香邸のウィンターガーデンのモダンなチェッカー柄の床の上、往時そのままに置かれているはずです。


■画像3点目も旧蔵者を同じくする家具のカタログのうち2点をピックアップ。「新興独逸建築工芸展」に触発されたものか、T.M.K.=東洋木工株式会社東京販売店の『独逸型応接室 家具セット』のペラものと、内藤鉄工所の『鉄鋼家具』のカタログ(冊子)
『独逸型応接室 家具セット』は応接室用の家具セット9タイプで、それぞれサイズの記載有。「製品仕立」にある「ウォールナット色ラッカー磨仕上ゲ」というのが淋しいというのかいかにも日本的とでもいうのか。
『鉄鋼家具』ではスチール製の事務用家具・什器と鋼鉄製寝台にはさまれて8Pを割いて置かれた「鋼管家具-パイプ椅子と卓子」の掲載商品全てに既視感があって、これまたいかにも当時の日本らしく。
装飾からフォルムへ、装飾から機能へ、新素材へと時代変化の節目を物語るカタログではないかと思います。それにしても、『独逸型応接室 家具セット』の折りたたみ方と表紙のデザイン処理、すばらしい!

今週の斜め読みから。
https://www.facebook.com/junichi.ohmae/posts/4508134845973958
https://www.facebook.com/junichi.ohmae/posts/4508259349294841
最大のギモンとその解 ?
https://globe.asahi.com/article/13857057?fbclid=IwAR3XviCDVaodJ7W5y73KAhlFOtNzOl62a0qTacCaYr8Fa80zNYEqp5spNGg



 

21/10/29 華中鉄道直営蘇州駅食堂メニュー2種他


■明後日は早朝より所用のため、更新作業は可能な限り今日中に終えるぞという気合は十分、がしかし最近の作業の遅さは相当なものなので、物理的にも作業量を減らしておこうかな。というわけで、今週の新着品は画像1点分だけにさせていただきます。
先ずは左上、グレーと薄い緑色の印刷物、「華中鉄道直営蘇州駅食堂」の『菜単』=メニュー表2点について。
入札した時点では、同一メニュー・使用通貨別に2種用意されていたのだろうと思っていたのですが、よく見てみると2点ともに「元」による価格表記があり、しかもグリーンのには15種、グレーのには19点と、掲載されているメニュー数が異なることの気付きました。「元」表記による価格にも違いがあり、この2種、どうやら使われていた時期が異なるようです。
華中鉄道のマークを挟んで左側には「確立東亜共栄圏」、右側には「駆逐英美的勢力」の謳い文句があり、メニューには「大東亜客飯」=「大東亜定食」などというものがあることから、1940(昭和15)年以降に使われていたものと見られます。
グレーのメニューからグリーンのメニューになって削られていたのはハムエッグ、オムレツ、玉子丼とソーダ水。明らかに卵の手配が難しくなったことを物語る物証といえそうな内容で、「おおー!」と一瞬自分の中で盛り上がりはしたものの、しかし何故、卵がの用意が難しくなったのかは一介の古本屋なんぞに解けるわけもなく。この謎の答え、ご存じの方がいらしたら是非ご教示下さい。
このメニュー、戦時中の中国大陸~朝鮮半島関係のエフェメラで、誰か一人の人が記念として残していたものではないかと思われるファイル一冊に収められていました。
ファイル中、華中鉄道直営食堂のメニューの次に気になったのが、日本語・孔版刷の上海の地図。左手に西上海駅、右手に黄浦江、左右に一本、静安寺路が貫き、中央に競馬場がある日本語で描かれた地図は、あの時代、上海に渡った日本人が歩いていたのであろう外地・上海の市街をリアルに感じさせてくれて、既成品の地図とは一味違う不思議な魅力を放っています。
上海については他に3点、いずれも「上海メトロポール ホテル」と欧文または日本語表記のある荷札、宿泊客用封筒、ポストカード。シンメトリーで矢鱈に格好いいトレードマーク入りの荷札には麻紐まで残っていて、これまた大変魅力的です。
この他、華中鉄道副総裁名による宴席への招待状、北京の松坂屋の領収証、朝鮮ホテル関係のエフェメラ複数など。小さなグループに仕分けをして分売する予定です。

■日曜日に所用があるので、今週水曜日には期日前投票を済ませてきました。
安倍政権がアップした消費税増税分は社会保障に使われているなんていうのは幻想、法人減税の穴埋めに使われているということ、インボイス制の導入は実質増税であること、かくしてより多くむしられ続けるのが格差社会の低い方からであるということをみなさんお忘れなく。小店店主も底辺ですからね。下のはちょっと胡散臭く感じられるかも知れませんがご参考まで。
https://mobile.twitter.com/akasakaromantei/status/1449739180242718720?t=2Czo-45YQlzBL3TJXRoaEg&s=04&fbclid=IwAR1g5F5J4YLymIcwaXCVMZyoCHyA34wbAreYcGpQrbu-AZNzsOwTntKebMM
ジミントーの先生たちがニチギンとつるんでやってきたこととかも。罪深いと思いませんか。すでに「買い負け」しているお陰で輸入牛肉の価格が高騰してますが。そんなの序の口? 日本人の多くが飢える日もそう遠くない???
その岐路の一つが10月31日という日なのだと思います。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/88752?page=3&fbclid=IwAR3jdrWr8ALoOfcNdN83pRoTdG0ZKZGDz_SSgmT7yJKfbSAifElMNw3Jwjw


 

 

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